田の越しの三界坊 さんがいの記

熊本在住の三界坊が、九州の山歩きで出会った山野草、渓流釣りのあれこれなど、暇にまかせてのなぐり書きです。

2015春、 朋あり遠方より来たる

 年賀状のやりとりをするだけの間柄になって久しい北海道在住の友人がいます。二十代半ばの一時期、ともに遊び、人生について語らい、酒を酌み交わした同い年の友です。初めての出会いは今を去ること30年と少し前、青年海外協力隊の訓練所でした。同じ隊次で派遣前の訓練生として入所し、3ヶ月ほどの訓練期間をともに過ごしました。その後、彼はフィリピンへ「溶接」隊員として派遣され、私はマレイシアへ野菜隊員として派遣されました。派遣先の国も専門の職種も違いましたが、なぜか馬が合い、訓練期間中にはよく一緒に飲んだりしたものでした。そのころの私は某大学農学部を出たばかりの頭でっかち。一方、彼は高校卒業後に大手自動車メーカーに就職し現場で腕を磨いてきた「たたき上げ」で、一流の溶接技術を持った(技能オリンピックに日本代表として出場したほどの腕前)職人でした。二十代半ば前で、すでに自分の技術にしっかりと自信と誇りを持っている彼はずいぶんと大人びてみえました。
 その後、協力隊の任期(2年間)を終えて帰国してからは、あまり会う機会もなく疎遠となっていました。帰国して4,5年が経ったころ、私は沖縄の石垣島で仕事をしていたのですが、そこにひょっこりこの懐かしい友人が現れたのです。彼はログハウスビルダー(ログハウスを建てる職人さん)をやっており、しばらくは西表島で仕事をするとのことでした。人もうらやむような素晴らしい腕をもつ溶接のプロからログハウスビルダーへの転身、いずれにせよ、もの作りにこだわる職人気質はそのままです。彼が仕事を終えて西表を去るまでの数ヶ月間、西表島の友人宅や石垣の飲み屋街で一緒に飲む機会がありました。
 その彼から突然、北九州市に仕事で来ているとの電話がありました。何でも今年に入ってから門司でログハウスを建てているとのことです。懐かしくもあり、さっそく、先日会いに行ってきました。作業着姿の彼は年相応に老けてはみえるものの相変わらずの飄々とした風貌でとても元気そうでした。日曜日も仕事をしているとかで、あまりゆっくりとはできませんでしたが、お昼のラーメンをすすりつつ、互いの近況と昔話に花を咲かせました。月並みではありますが、月日が経つのは本当に早いものです、石垣島で最後に会った時から数えるとすでに22年がたっていました。次の再会はいつになることか。そう遠くないうちにまた会いましょう。
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写真:建築中のログハウス
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 写真:玄関の鉢植えマホーニアが黄色い花を咲かせていました
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写真:沈丁花はまだつぼみです