田の越しの三界坊 さんがいの記

熊本在住の三界坊が、九州の山歩きで出会った山野草、渓流釣りのあれこれなど、暇にまかせてのなぐり書きです。

カテーテルアブレーション顛末記その1

 しばらくのご無沙汰でした。7月21日にアップした記事<http://blogs.yahoo.co.jp/mackon_0907/13282412.html>でカテーテルアブレーションを受けることをお伝えしておりました。カテーテルアブレーションは予定どおりに7月23日に実施し、昨日、8月1日に何とか無事に退院することができました。その顛末をかいつまんでご報告したいと思います。

カテーテルアブレーションとは、おさらい:
カテーテルアブレーション(カテーテル心筋焼灼術)、経静脈的にカテーテルを心臓血管内に挿入し、体外から焼灼エネルギー(高周波電流)を不整脈発生源である心筋組織(主として肺静脈およびその周囲組織)に加え、これを焼灼・破壊する治療法(2014寺井武壽著「心房細動正しい治療を求めて」より引用)。
 現在のところ、不整脈(心房細動)の治療法としては最も効果が高いとされています。
7月21日(入院1日目):
朝8時ころ、入院前のひと仕事と始めた庭仕事の途中で不整脈になる。そのまま病院へ行き入院の手続き。12:00より点滴用針の挿入。採血、血圧測定、採尿、胸部X線撮影、胸部CTスキャンなど。夜、主治医から今後の日程、治療の進め方などについて説明を受ける。
7月22日(入院2日目):
昨日からの不整脈は朝9時ころに治まる。ヘパリン点滴開始。経食道心エコー。
7月23日(入院3日目、施術当日):
昼食は抜き。14:00に導尿(尿道カテーテルの挿入)。15:00に手術室へ運ばれる。局部麻酔後、カテーテルを右足のつけ根と首の右側の2か所から挿入。挿入したカテーテルは合計3本(足のつけ根から2本、首から1本)とのこと。レントゲン透視や心臓内の造影を行いながら検査、焼灼治療を進める。局部麻酔なので意識はあり、ときどき胸に熱いような痛みを感じる。20:00頃、約5時間かかって治療は終了。主治医の話では合計100ヶ所以上の焼灼を行ったとのこと。20:15 頃に部屋に運ばれてあとはベッドの上で安静。止血のため翌朝まで体は動かせない。
7月24日(入院4日目):
朝8時過ぎに体を動かす許可が出る。足と首の止血はうまくいったとのこと。朝食は抜き。10:00から胃カメラによる食道、胃の検査。午後、主治医よりショッキングな説明。焼灼の影響により、食道に炎症(潰瘍?)が認められるとのこと。写真では食道の内壁に点々と赤いやけどのようなものが見える。この合併症の危険性については術前に説明を受けていたが、まさか自分がそうなるとは。心臓の内部を焼いたはずが、食道にまで火傷がでるとは予想外でした。このため3日間の絶食を言い渡される。そのショックか18:00ころより不整脈となる。栄養剤の点滴始まる。
7月25日(入院5日目):
昨日からの不整脈は終日治らず。先生の話では出たりおさまったりを繰り返しているとか。採血、血液検査。絶食2日目で空腹は続く。術後初めてのシャワーを浴びて気分一新。
7月26日(入院6日目):
絶食3日目。腹が減りすぎてあまり空腹感は感じなくなった。血液検査。不整脈は昼過ぎにシャワーを浴びているときに治まる。
7月27日(入院7日目):
絶食4日目。朝9時過ぎに胃カメラによる食道、胃の検査。食道の炎症はずいぶんよくなっているということで、昼には「重湯」にありつく。午後には胸部X線検査。夜からは「5分粥」食に格上げ。栄養剤の点滴は終了。
7月28日(入院8日目):
利尿薬を処方される。食事は相変わらず「5分粥」。昼過ぎに再び不整脈発作。この日にすべての点滴は外され、自由に動けるようになる。
7月29日(入院9日目):
昨日からの不整脈は昼過ぎに治まる。同じ日に私の直前にカテーテルアブレーションを受けた同室のI氏が退院していった。食道の不具合がなければ私もこの日には退院の予定だったのだが。
7月30日(入院10日目):
採血。今日から食事は「全粥」に格上げ。
7月31日(入院11日目):
朝から採血、胃カメラによる食道、胃の検査、胸部X線検査。食道の炎症はほぼ全快。夕食から「普通のごはん」に格上げ。それでも「胃潰瘍食」とのこと。
8月1日(入院12日目):
朝、主治医の先生より病状説明。午後に退院、自宅に帰宅。

 今日は8月2日です。7月29日以降、不整脈は出ていません。焼け野原となった私の心臓もそろそろ落ち着いてきたのでしょうか。明日3日(月)からは仕事が始まります。このままの状態が続くことを強く願っているところです。近いうちに、入院中のエピソード、感じたところなどをいろいろとご紹介したいと思います。
「運転免許解禁まで あと 19日」
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絶食丸3日後にようやくありついた病院食の「重湯」。涙が出るほどうれしかったのですが、米粒は見えません。